土も生産者も、食べる人も健康に
2021年6月14日、長野県塩尻市の
川上徳治さんが亡くなられました。
享年80歳。
塩尻市で、長年レタスとキャベツの栽培に従事。産地の状況が移り変わりゆく中で、土づくりの重要性を強く感じるようになり、土壌改良の方法を模索し続けてこられました。
そして、微生物のはたらきに着目。2003年5月、生産者仲間と(株)あおぞらを設立し、独自に販売ルートを確立します。栽培と出荷を続けながら、土と生産者、農産物を食す人たちが、みんな健康になれる農法を探究。その成果を踏まえ、困っている仲間がいれば現地に足を運び、親身になって指導に当たり、健康な土と作物を作ろうと、励まし続けた人生でした。
ご葬儀が行われた時期はコロナ禍だったため、ご家族が中心でしたが、訃報に触れた人たちが、予想に反して続々と弔問に訪れました。一人の弔問客が知人からお悔やみを託されて、複数手渡すケースも数知れず。川上さんが、いかに多くの人々に慕われ、惜しまれていたかを物語っています。
一杯の味噌汁がきっかけで…
冷涼な気候を生かし、レタスやキャベツを作る塩尻は、早くから高原野菜の産地として発展してきました。誰もが大規模に、毎年大量の作物を作り続けるには、農薬と化成肥料を使うのが当たり前と考える中で、川上さんはいち早く、土づくりに疑問を感じるようになりました。
その中で生協の組合員の人たちとの交流が始まり、消費者が安心で安全な農産物を求める姿を目の当たりにします。それはこれまでの農法では叶えられない。一時期は農薬も化成肥料も使わない有機栽培を目指し、圃場に発酵した堆肥を投入するなど、試行錯誤を重ねていましたが、納得できる味わいの農産物は得られませんでした。
そんなある日、川上さんは東京・代々木で開催された、生協の研修会に参加します。そこに来ていたのが、富山県南砺市の(株)国際有機公社の吉田 稔さん(故人)でした。自ら栽培したお米でご飯を炊き、自家製の味噌を使った味噌汁を参加者にふるまっていたのです。
これを食べた川上さんは、
「うちでも味噌は作っているけど、いやあ、これはうまいなあ。いったいどんな方法で作っているんだい?」
それがきっかけで知り合いとなり、後に吉田さんが富山で開いた研修会に、仲間の酒井茂典さん(vol.36で紹介)らと参加するようになりました。吉田さんが生産者に奨めていたのは、時間をかけてイワシを長期間発酵させて作る土壌改良材でした。川上さんは早速これを試したところ、それまでの資材よりも「いいぞ」、と手応えを感じたのです。
化成肥料を半分に
当時塩尻では、多くの生産者がレタスの根腐れ病に悩んでいました。先にイワシの土壌改良材を投入して、好感触を得ていた川上さんは、「仲間にもこれを広めよう」と考え、地元の農協の会議室で、資材の説明会を開催します。農協の取扱商品ではない資材の説明会が開かれるのは異例のことでしたが、会場には多くの参加者が集まりました。すると……
「なんとその年は、ものすごく売れました」
それまでとの大きな違いは、土のやわらかさ。それまでの圃場は土が硬く、雨が降ると水溜まりができるほどでした。そこへ発酵した土壌改良材を入れると、だんだん土がやわらかくなり、水も溜まらず、トラクタで耕起する時の音が静かに……目に見えて土が変わっていくのがわかり、レタスの品質も上がっていったのです。
この時は、イワシの発酵資材だけではなく「化成肥料をこれまでの半分に減らしてください」と指導を受けました。ところが中には減らせない人もいて、その圃場の土には、結果は出ませんでした。
「例えばレタスを慣行栽培で作ると、窒素換算で最低10~16㎏/10aの肥料が必要ですが、うちは6㎏しか入れません。それ以外は空気中から摂る分と、葉面散布。そして土中の微生物の死骸。それでちゃんと足りるんですね。今は、みんな過剰施肥になっている。私はこれを『微生物農法』と呼んでいます」(川上さん)。
気づけば代理店。バイヤーの追っかけも…
さらに川上さんたちは、尿素とバクタモン®を混ぜた資材を液肥として使うようになり、品質はますます向上。その様子を目のあたりにして、さらに微生物のはたらきが目から離せなくなりました。
ちょうどその頃、大阪府堺市の小学校で給食からO-157が原因の集団食中毒事件が起きました(1996年7月)。これを機に川上さんは、知人の医師から抗酸化物質や硝酸態窒素、腸内細菌について学ぶようになります。
「人間の腸の中に細菌が2㎏もいて、免疫力を上げている。その免疫力を上げるのは、抗酸化物質なんです。体内では硝酸態窒素が悪さをする。だから抗酸化力の多い作物を作らなければ。先生からそんな話をうんと聞いた。土も動物も人間の腸も、みんな一緒。当時はこの話をすると、みんなにそっぽ向かれたけどね(笑)」
今では、誰もがその大事さや存在を知るところになった腸内細菌。川上さんはその重要性に、いち早く気づいていたのです。
土の状態が目に見えて改善されていく中で、農家が個々に直接メーカーから取り寄せるのは、手間と運賃がかかって大変だから、代理店になってほしい。川上さんにそんな声が寄せられるようになります。
「それがきっかけで代理店になって、うちに届いた資材を農家の人が取りに来たり、車に乗せて運んだり。そんな商売が始まりました」
自分だけでなく、まわりの仲間が作るレタスの品質も上がっていく中で、川上さんはあるスーパーの「バイヤーの追っかけ」を始めます。その人が上田に来た、伊那へ来たという噂を聞くと、追いかけて行って「一度うちのレタスを見てくれ」と、お願いしました。
それは関西の有名な高級スーパー。取引するには、硝酸態窒素1,000ppm以下の厳しい条件をクリアする必要がありました。しかも一人だけでなく、出荷組合全員がその基準を満たし、さらに品質のばらつきを防ぐには、メンバー全員が同じ資材を使ってレタスを作らなければなりません。
川上さんは、メンバー6人の仲間と「出荷組合あおぞら」を結成。厳しい品質基準をクリアして取引もスタート。2003年5月に法人化を果たし、(株)あおぞらとなりました。
野辺山の黒岩さんと
野辺山で白菜やキャベツを栽培している、黒岩洋一さん(vol.21)は、そんな川上さんの指導を受けた生産者の一人。父の紹介で川上さんと知り合って以来、20年以上のお付き合いがあります。
「初めて会った時、『この苗じゃダメだ』と。当時は、とにかくいい野菜さえ作ればいいと考えていた私に、いきなり健康や腸内細菌の話を始めました。今思えば、植物だけでなく、私のことまで見抜いていたんですね」
当時の黒岩さんは、化成肥料を10aに7袋=140㎏投じていて、雨が降って玉が小さくなれば、すぐまた入れる……。そんな方法で栽培していたそうです。肥料を入れればいい野菜ができる。そんな考え方で栽培していた黒岩さんの野菜の葉の色は濃い緑色なのを見て、川上さんは、
「こんなことをしていたら、畑を壊すよ。肥料は今の3分の1でいい」
と指導します。黒岩さんはそれに従って肥料を減らしますが、結果は一進一退。すぐには改善されませんでした。2人の会話が、時にはケンカ腰になることも。それでも、
「ここ50年はずっと化成肥料の時代だったから、土がダメになっていて、今から治そうと思っても20~30年はかかる。指導を受けりゃ『すぐ治るかい?』って、みんな言うけど、とんでもねえ話だ」(川上さん)
肥料を減らして土壌改良材を入れても、すぐにはよくならない。そんなケースも少なくありません。
「それでも川上さんは、必ず見に来てくれました。『今から行くけど、いいかい?』って」(黒岩さん)
こうして時間をかけて、土壌改良を行ってきた黒岩さんの白菜畑を、2019年6月、大粒の雹が襲いました。葉っぱがボロボロに破れて、すべて植え直しか……の状態から、見事に復活。そんな生命力あふれる野菜が育つ畑に生まれ変わっていたのです。
「塩尻土の会」を開いて、ともに学ぶ
さて、川上家では、レタスの栽培を長男の保水さん、農業資材の代理店業務を次男の義則さんが引き継ぎ、それぞれ受け持つようになりました。
栽培面では長野県が独自に定めた「信州の環境にやさしい農産物認証」を、県で最初に取得。義則さんは、当時を振り返り、
「(株)あおぞらが、長野県初の認証を取った時、当時の田中康夫知事がうちの畑に視察に見えました。まるで大名行列のようだった」
また、酒井さんも、
「川上さんが、関西の有名スーパーと取引していますと言ったら、知事が『えっ、そうなの?』と、驚きの表情を見せたのを、今も鮮明に憶えています」
川上さんはイワシの発酵資材に加え、「バクタモン®」「薬師」「バットアグノ」等、川上さんが見出した、土の健康を取り戻す資材を中心に販売しています。
塩尻から黒岩さんのいる野辺山までは80㎞。時には長野の県境を超えて、静岡県へ出向くこともあります。晩年は、川上さんの現地訪問に付き添う機会が増えた義則さんでしたが、
「どこかで誰かが困っている。そんな電話がかかってくると、雨が降ろうが、台風が来ていようが『これから行くで』と。『ええっ、やめた方がいい。明日にしよう』『いや、これから行く』と。自分のことを差し置いてでも、出向く人でした」
たとえ一袋でも、少ロットでも、現場へ出向いて畑の状態を確認し、その使い方を丁寧に指導する。川上さんはそんな姿勢をずっと貫いていました。
「いいものを使っている人の話を、みんなで共有して聞くことが大事。私が一方的に話すんじゃなく、みなさんが聞きたいことを聞いて、それに答えるようにしています。同じ資材を使っていても、条件が変わればやり方も変わる。知恵はみんなで出し合わなければ」
そんな川上さんの考えを形にしたのが、毎年1月、塩尻で行われる「塩尻土の会」です。川上さんが見出した資材メーカーの担当者が訪れ、資材の成分や使い方、効果について学ぶ集まり。参加者の栽培地域やキャリア、年齢は違えど、川上さんが分け隔てなくいつも力説していたのは、微生物の大切さでした。
「土の中は、すべての微生物が動かしている。化成肥料を播いても、堆肥を播いても、根の周りにいる微生物が関わらなければ、植物は育たない。それが今、少なくなっている。だから大事にしなければ」
岡部産業(株)は2015年の勉強会を皮切りに、毎回「塩尻土の会」へ参加しています。徳治さんが亡くなられた後も、酒井さん、義則さんがその志を受け継いで、続けるようになりました。毎年長野県を中心に50~80名が参加。中には勉強熱心な若手のワイン醸造農家や、新規就農者の姿もあります。
土も野菜も、それを食べる人も健康に。
環境的にも経営的にも、持続可能な農業を。
そんな徳治さんの遺志は、(株)あおぞらのメンバー、そして訪ね歩いて指導した多くの農家に受け継がれ、その土と農産物の中に生きています。
取材・文/三好かやの
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